佐藤家では、高齢の父親が認知症を患い、日常生活の管理が困難になってきた。母親はまだ存命であったが、既に90歳を超え、認知症の父親の介護をできる状態ではなかった。そのため、三人兄弟の長男、健一が父親の財産と日々の金銭管理を担当することになった。健一としては、日々の生活に終われる中で、これ以上仕事を増やしたくなかったが、長男である責任感もあり、渋々役割を買って出ることにした。
健一は経済的に厳格で、父親の資産を保守的に管理していた。彼は、父親の貯金を使うことに対して非常に慎重で、父親の介護に関する出費も最小限に抑えようとした。これに対して、三男の英輔は、父親により良い介護を受けさせるためには、もっとお金を使うべきだと主張した。英輔は、高品質の介護サービスやリハビリテーション、趣味活動など、父親の生活の質を高めるための出費を提案した。
いつもの健一は、とてもおおらかで心も広い。そのため、自分と考え方が違う人がいても、「違う人間なんだから、違って当たり前」という態度で受け入れることができた。弟たちとの関係においても、長男らしくバランスを取ったり、弟たちのわがままを聞いてやることが多かった。
しかし、父親の介護の問題に関しては、自分自身が大きな犠牲を払いながらやっていることもあり、それに対する批判を許容できなかった。
そもそも、二人の考え方が大きく異なるのは、それなりに理由があった。それぞれ、育ってきた環境や現在の生活状況が大きく異なるのだ。
健一は、高校や大学に進学する際、「後ろにまだ2人いる」という理由で、いつもなるべくお金のかからない選択を迫られていた。高校受験の際は、私立に行くお金はない、必ず公立に合格しなければというプレッシャーがあった。大学に通う際も、奨学金をもらって何とか卒業した。現在の生活においても、妻は専業主婦で子どもが2人いる状況では、いくら健一が稼いだところで、お金はいくらも貯まらなかった。
一方、英輔は、高校から私立にい通わせてもらい、大学の費用も全て出してもらった。まだ結婚しておらず、自分の給料は全部自分で使える身であり、生活に余裕があった。
そんな二人であるため、どうしたって金銭管理にずれが出てくるのだ。
一方で、もう一人の弟、二男の浩二は、父親の財産を将来の相続を見越して保持すべきだと考えていた。浩二は、健一が管理する父親の財産の詳細について常に疑念を抱き、健一に対して財産の明細や支出の報告を求めた。
ある日、英輔は、父親のために高級な介護ベッドを購入する提案をしたが、健一はこれを却下した。これに激怒した英輔は、健一が父親の利益よりも自分の財政的な安全を優先していると非難し、家族会議を開くよう要求した。
家族会議と言っても、集まるのは兄弟3人である。その会議の場で、全員が「お父さんのためには」という枕詞を使ってそれぞれの主張を繰り返した。
すなわち、健一は、「父親には今後何があるか分からない。お金を無駄遣いせず、万が一のときに備えておくのがお父さんのためだ。」と主張する。
一方、英輔は、「お父さんの財産を考えると、そんなに節約しなくても将来はそんなに心配ではない。むしろ、今の生活をより快適にしてあげることがお父さんの幸せにつながる。」と主張。
そして、二男の浩二は、「お父さんは認知症なんだから、優先すべきはこれから先の人生が長い僕たちじゃないかな。お父さんもそれを望んでいると思うよ。」と相続財産を守る方向を示唆。
家族会議という名の3人の言い合いは、紛糾して終了した。当たり前である。それぞれが自分の主張を言い合うだけで、そこには何の基準や調整軸もないのだ。
物別れに終わった後、英輔は自費で父親に高級ベッドを購入した。しかし、そのベッドを使用させまいとする健一との間で、ひと悶着あった。
このように、一事が万事、父親のことを何か決める必要がある度に、3人は互いにそれぞれの主張を繰り返し、紛争性を高めていった。
ポイント1
渋々介護を担っているものは不満に敏感
「自分が一番お世話になったから」、「自由な時間があるのは自分だから」、そんな理由で前向きに介護に取り組める場合はいいのですが、「長男だから仕方がない」、「本当は負担が重いけど、誰もやらないから仕方がない」そんな気持ちで介護を行う人は、周囲のちょっとした批判や非協力的な態度にとても敏感です。
相続の際、被相続人である親にどれだけお金をかけてもらったかで争うことがあります。例えば、長男は留学をさせてもらい、結婚の際、お祝い金もたくさんもらった。一方、弟である二男は公立の高校を出ただけで、結婚もまだしていないという場合に、「お兄ちゃんは散々お金をかけてもらったんだから、相続は自分が多めにもらいたい」などといった主張です。